去年10月1日の中国国慶節、中国の杭州に「国際墨画会」と大変縁のある「丁丙記念館」という文化施設ができました。

丁丙(1832-1899年)とは、国際墨画会展の審査員を務める丁如霞先生の五世先祖です。中国清朝の四大蔵書楼の一つである「八千巻楼」の所有者で、浙江現代工業の先駆者でもあります。
太平天国の乱の後、杭州全地域が廃墟と化した中、丁丙は「杭州善挙連合体」という中国史上最大の慈善団体を主宰し、31年間にわたって、家財の全てを使い果たし、さまざまな復興・慈善事業を成し遂げました。

京都大学名誉教授の夫馬進氏は、学術部門で最も権威ある恩賜賞・日本学士院賞を受賞された著書『中国善会善堂史研究』のなかで、丁丙の中国慈善事業における功績について詳しく述べています。

その他に、丁丙は浙派(西泠印派)の始祖である丁敬など西泠八家印章355顆を収蔵したことも知られており、成田山書道美術館には丁丙が編輯した「西泠四家印譜」の他、非常に稀少価値のある「師譲庵漢銅印存」が秘蔵されています。

丁丙の三代目にあたる丁仁(丁如霞先生の祖父)ら4人が1904年に印学を研究する学術団体の「西泠印社」を創設しました。1906年に日本篆刻大家河井荃廬氏が西泠印社の最初の日本人社員になり、1914年に日本の著名な漢学者で書画篆刻家の長尾雨山も西泠印社の初期社員に加わりました。

「国際墨画会」設立当初から、丁仁らが創設した「西泠印社」には会展覧会のご後援を、先生方にはご出品をいただき大変お世話になっております。日本在住の孫娘の丁如霞先生とも親しくお付き合いしてきました。しかし、丁仁の大叔父(祖父の弟)にあたる丁丙という人物の存在は初めて知りました。その方は、太平天国の乱の後の杭州城を復興し、寺院や橋から学校まで、杭州のほとんどのインフラを再建したのです。「西泠印社」の原型もその頃にできたと聞きました。

丁丙は歴史上の功労者を記念する多くの祈念堂や施設を修復し、また杭州のために貢献した有名な人々の顕彰、記念施設を数多く新設したのですが、杭州に丁丙を記念する施設はありませんでした。杭州の歴史研究家らが十数年にわたって活動し、ついに地元の行政を動かし、去年10月に、丁丙と父丁英、兄丁申の墓地があった杭州余杭の閑林に「丁丙記念館」がつくられました。杭州市民政局は、記念館に「杭州市慈善文化実践基地」という慈善事業の文化を推進する特別拠点の称号を授与したそうです。

今年5月18日「国際博物館の日」から11月20日まで、杭州博物館は特別展『丁丙と19世紀の杭州』を開催し、丁丙の業績と、19世紀後期の丁丙をはじめとする杭州の名望家や財閥らが実業、教育、文化、慈善、都市建設と都市行政など様々な分野における実績を展示しています。

コロナが終息した暁には、丁如霞先生と一緒にゆかりの地「丁丙記念館」を訪れてみたいと思います。

1.丁丙記念館外観(杭州市余杭区閑林)

2.丁丙像(1832—1899年)

3.丁申・丁丙兄弟銅像(杭州)

4.清末の四大蔵書楼の一つ「八千巻楼」

2022年8月1日
香取琴水

会長コラム202208:『「丁丙記念館」について』

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